文鳥(ブンチョウ)の歴史と品種
文鳥はインドネシアのジャワ島原産のスズメ目カエデチョウ科の小鳥(体長13cm・体重25gくらい)です。英語名をJava Sparrow、学名をPadda Oryzivoraと言います。学名は米食い鳥の意味で、実際にインドネシアの稲作地帯に大量に生息していたようです。
その熱帯の米食い鳥が、日本にやって来たのは、17世紀の初頭くらいではないかと思われます。おそらく、南蛮貿易などのために東南アジアに広く進出していた日本人たちが、現地で文鳥と接するようになり、日本にも持ち込んだのでしょう。
文献的には、1697年刊行の『本朝食鑑』という書物が初見のようですが、中国語では模様のある鳥の一般名詞である「文鳥」の名で呼ばれています。これは、江戸時代に外国から入ってきた他の小鳥たちに先がけて、日本人と接点があったために、一般名詞が固有名詞化していたことを示しているように思います。つまり、文鳥と日本人との関わりは長く、特別な存在だったのでしょう。
長崎出島を通じて、文鳥が日本に輸入された18世紀半ばの記録が残っているようですが(『花蛮交市洽聞記』)、日本での繁殖も18世紀後半には始まっており(1773年『唐鳥秘伝百千鳥』・1799年『諸鳥飼法百千鳥』)、19世紀となると一種のブームになっていたようで、菅茶山の随筆集『筆のすさび』によれば、「備中備前に文鳥を畜う(やしなう)ことはやり」と言い、1808年刊行の『飼篭鳥』と言う本に拠れば、数百羽ずつカゴに入れて大阪や江戸に出荷する大規模な生産者まで現れています。
この文鳥飼育の流行は、江戸の末期に至っても続いていたようで、1847年刊行の山本亡羊『百品考』に拠れば、「世人好んでこの鳥を畜い(やしない)」、ついには京都の街中を野良文鳥が飛び交っているような状況となっていたようです(私は寺社の放生会で、どんどん文鳥を外に放していたのではないかと想定しています)。
さて、これまでの経過に登場する文鳥は、いわゆる原種(ノーマル)の姿をしていたと考えられます。江戸時代の文鳥の姿は、いくつか描かれて残っていますが(例えば佐竹曙山の『椿に文鳥図』)、すべて頭とアゴと尻尾が黒く、頬とお尻が白、胴体は少し青みがかった銀鼠色で、下腹部が桜鼠(さくらねず)色をした原種の姿なのです。
この原種のみの状態に革命的変化が起こったのは、おそらく明治の初めだったと考えられます。1885年の『東京横浜毎日新聞』に「白無地」の「ブンチョウ」を欧米に輸出しているとの記事があるので、それ以前に白文鳥が誕生していたのは、まず間違いありません。
はっきりした年代はわかりませんが、おそらく、現在、白文鳥発祥の地の石碑がある愛知県弥富町で、全身純白の白文鳥が突然変異で出現し、繁殖農家の皆さんの努力で個体数を増やしていき、ついには、日本の誇る独自の小鳥としてJapanese Rice Birdと呼ばれ輸出されるに至ったものと思われます。
白文鳥(シロブンチョウ・ハクブンチョウ)の人気は海外のみならず、日本国内でも爆発的なものがあったようです。例えば、明治の文豪夏目漱石の『文鳥』(1908年)に登場する「文鳥」は白文鳥、その弟子の名随筆家内田百閧フ大正期の作品『漱石山房の夜の文鳥』に登場する「文鳥」も白文鳥、つまり、明治末期から大正期には、文鳥と言えば白文鳥を指すといった状況となっていたのです。
人気を独占した白文鳥の陰で、必然的に発生したのが桜文鳥(サクラブンチョウ)でしょう。何しろ白文鳥の絶対数が足りない段階では、白文鳥の交配相手はもともとの原種しかありえず、この白と原種の交雑からは、半分は白文鳥、半分は原種の頭、アゴ、胸、翼などに白い羽毛が混じった文鳥が生まれたと考えられるのです(現在の弥富産の繁殖データに拠れば、白と桜の間からは白と桜の子が半々に生まれています)。
なお、桜文鳥の「桜」は、胸の部分の白い羽毛(ボカシ)が、桜の花びらのように見えるからと言われています。
、現在桜文鳥と称して売られている文鳥の中には、白い羽毛の多いゴマ塩柄の文鳥もいます。これは弥富産とは別系統の白文鳥と桜文鳥の交雑種と考えられます(台湾産白文鳥と弥富産桜文鳥の繁殖データに拠れば、子供はすべて白い羽毛が多い姿となっています)。
確証はまったくありませんが、これは初めに弥富に出現した白文鳥に、白文鳥を生み出す2つの要素(完全優性の白遺伝因子・不完全優性の白遺伝因子)があり、弥富では桜(原種)との間で生まれた白文鳥(完全優性の白遺伝因子を持つ)を残し、ゴマ塩柄(不完全優性の白遺伝因子を持つ)を排除した結果、系統的違いが生じたように整理できると考えています(弥富以外の地域では、このゴマ塩柄から白文鳥を作り出そうと努力したのではないかと思います。もっとも努力と言っても、ゴマ塩柄同士からは白文鳥も生まれるはずですが・・・)
白い突然変異個体の出現で起こり得る遺伝の想定 |
W(完全優性の白遺伝因子) w(不完全優性の白遺伝因子) g(有色遺伝因子) 弥富に出現した白文鳥の遺伝子型 Ww × gg もともとの文鳥の遺伝子型 → Wg…白遺伝子因子が優性なので白文鳥 wg…白と有色の遺伝因子が対等なのでゴマ塩文鳥。
→ Wgは弥富系の白文鳥、有色の桜と交配しても半分は白い文鳥を生む。 |
文鳥といえば、白文鳥か桜文鳥、ゴマ塩柄は良くわからないのでとりあえず桜文鳥とされ、さらにジャワ島から野鳥の文鳥を捕獲して輸入したものを並文鳥(ナミブンチョウ)などと称して流通する時期が長く続きました。並文鳥は、現地での個体数の減少や輸出入制限によって、1980年代にはほとんど目にすることがなくなりましたが、代わってセピア色した新品種が登場します。シナモン文鳥です。
シナモンは、黒色メラニン(ユーメラニン)が先天的に形成されず茶化した個体を、ヨーロッパで品種固定したものです。1970年代にはすでに固定化されていたようですが、日本で一般に流通するようになったのは1980年代になってからだと思います。
色素が一部欠落しているので、目が赤く見える(血の色が透けて見える)のがおそらく本来の姿で、また、ヨーロッパでは原種(ノーマル)を基礎に品種改良が行われるはずですから、白い羽は混じっていなかったと思われます。ところが現在は、日本でも繁殖され、一部に白文鳥などとの交雑がおこなわれたためか、目が普通の色であったり、所々に白い羽毛が見出される個体も増えているようです。
1980年代にはシルバー文鳥が、やはりヨーロッパで固定化されたようです。このシルバーが日本で一般に流通し始めたのは、1990年代になってからで、最近ようやく一時の珍奇なイメージが払拭されつつあるように思います。
つい21世紀の初めまでは、気が荒く繁殖が難しいなどといった風評もありましたが、実際は格別そういったことも無さそうで、順調に個体数を増やしているようです。
以上4品種が、現在文鳥として一般に流通しています。
他にも目が赤くて純白のアルビノ(色素が先天的に完全に欠落)や、シナモンを淡くした色合いのクリームや、頭と尻尾のみ茶化したアゲイトや、「ブルー文鳥」と称するもの(本来青みの強いシルバーのはずだが、原種をこのように称する人もいて混乱しているようです)などを固定化する動きが一部の人々にあるようですが、まだ品種として確立しているとは言えません。
品種として確立されていない希少種は、近親交配が避けがたく、それだけ病弱となっている可能性があるので、普通の人は白・桜・シナモン・シルバーの中から選ぶのが無難だと思います。